精神科学教室 医局員の声

きみあきの休み時間14th 夜の果て旅館 end

2017.08.07

ここに個人史的なことを書いても、それは良くないことだなぁ、と思ったのである。
前回、小樽の大学に入って云々、というようなことを書いた。あそこは事実です。
後半、野球選手みたいなのが出てきた理由は、最後の、流体の一節(もともと未完成の断片だった)をどうにかしたかったのと、合気道の話を出したかったからです。
僕は以前通っていた大学で、合気道をやっていました。あんまり痛そうじゃなくて、それでいて強くなれそうだったから(実際は!とても痛いです、関節技です)。けっこう人気の部活で、部員は20人くらい。贅沢なことに、専用の部室があった。連絡事項だとか練習内容だとかを記す活動日誌、通称「部誌」という共有ノートがあった。僕はこれをもっと面白いものにしようとして、好きな音楽のこと、野球のこと、小説のことばかり書いた。私物化したのである。肝心の、合気道のことは何ひとつ書かなかった。そのうち部員のみんなも自由に思い思いのことを書くようになった。それを読むことが、僕の楽しみだった。そしていま、このブログでも同じようなことをしようと、ずっと企んでいた。だけどちょっとな。その路線で行くのなら、以下のような文章を載せるはずだった。
………「全員集合」のメインコントが終わると、歌のコーナーとなる。ブラウン管の向こうで、歌手がリズムに合わせ、ウイスキーの小瓶の中身を口に含む。そして空に向かって霧のように噴く。赤や青、金色の光を反射させながら舞いちるしぶきは四歳の僕をして酔わせるに十分だったが、僕の四つ上の長姉はそれを見るなり「水だ、水」とけらけら笑った。あの中身を本当にウイスキーと信じこんでいた僕は、ああ、そういうものなのかと、さめてしまった気がした。僕はよく歌を歌う子供であった。幼稚園へ行くバスの中で、誰もいない教室で。またその頃、僕は「ドラえもんの秘密道具しりとり」なるものを、誰彼となく強要して、嫌な顔をされていた。担任の森市先生が、根気よく相手をしてくれたことが救いだった。森市先生は、まだ新米の先生であったが、僕たちを送り出したあと、退職した。のち、長谷川という姓で、家に葉書が届いた。住所は青森県となっていた。この、結婚して姓が変わるというのも、長姉が教えてくれたことである。………

きみあきの休み時間13th 断片、あるいはジョン・レノンの作曲法

2017.08.04

7/25、部屋の掃除。ノートの一端を拾う。こう記してあった。『北大の文学部に憧れていた私は、勉強は駄目、スポーツも駄目で、浪人して、札幌の予備校に通いましたが、しかし一日でやめてしまい、音楽(鑑賞)と小説(鑑賞)と野球(観戦、と言ってもラジオで)の怠惰な日々を送り、いつか夏を過ぎ、木の葉も枯れて、ドアをあけたら、あっ、雪。けっきょく、文学とは何の関係もない、小樽の大学に入りました。小樽では下宿を借りたのですが、そこの管理人さんがたいそう美人だったので、下宿の者どもは「これじゃあ、おめェ、めぞん一刻の、一刻館のようでネェか」と言ったとか、言わないとか、すこぶるはしゃいでおりましたが、私はどうして入学早々、一九九四年の、桜もまだ咲かぬ四月に』ここで切れていた。7/27にもメモの断片がいくつか見つかったので、できるだけ意味が通るようにつなげてみましょう。『喜八はブランキー・ジェット・シティの演奏に衝撃を受けて興奮し、思わず知らず、表に飛び出した。俺には弾けぬ、俺には弾けぬとギターをぶん回していたところ、通りかかった王と長島に「この素振りなら、巨人でなければ四番を打つかもしれん」』『喜八は現役時代、二千三百本くらいヒットを打ったが、常軌を逸していたのは、彼の、合気道への傾倒ぶりであった。』『私は、(引退した)喜八に、キョースケ・ヒムロの声ってちょっと西城秀樹に似てないだろうか、と尋ねた。喜八はバター・コーンを炒めていた手を休め、臍下丹田に気持ちを沈めて、言った。』『いいですか、エンジニア。この地球上、海も空気も砂も、いうなればすべて粘稠度が違うだけの、流体にすぎないのです。我々はみな、魚も、人間も、鳥も、飛行機も、野球のバットも、キョースケ・ヒムロの声も、西城秀樹の声も、すべてどろりとした流体の中を泳いでいるようなものです。そういう意味じゃ全部似ています、エンジニア。』

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